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出雲関係の話①

長らく休んでましたが、すみません。出雲の話を辿るのが難しくて困ってました。
日本における2大勢力「出雲の神様」お話に入りたいと思います。
Y遺伝子ハプロ
↑この表はwiki@日本人にある複数の研究論文から引用した日本人のY染色体のDNA型(ハプロタイプ)の比率を示しています。
D系統(D1a1+D1b)は3.8万年前から日本に住んでいる縄文人の遺伝子系統で、約4割をしめます。
O系統(O2b1+O3)は0.3~0.4万年前に日本に流入した弥生人の系統で、この方々も4割を占めてます。
遺伝子の研究においては、日本に来たO系統の大部分は紀元前に流れ込み、有史以降の移民は遺伝子系統に影響を及ぼすほどの大規模な移動は無かったとされています。
そして、O2b1は弥生人最大のハプログループ(O2b1/25.1%, O3/16.7%)で、日本固有の遺伝子です。
満州族、朝鮮民族、ベトナム民族等のO2B*と、弥生人のO2b1は、O2bから約7870年前に完全に別れ、その後、何ら接触がなかったとされています。
弥生人は朝鮮半島を経由したのかもしれませんし、あるいは中国から直接来たのかもしれません。
しかし、経由でも痕跡くらいは残っているはずですが、中国東北部から「O2b1」が検出されない為、弥生人は中国本土から直接渡来した可能性を示唆しております。

O2b1aはトクシマで 28%, 大阪で 26% 発見されるなど関西で高く現われます。
BC1000~2000年海前にを渡ってやってきたO系統(O2b1+O3)の弥生人の皆様は、おそらく九州、山陰、四国、近畿地方に住み始めましたが、その中でも最も早く日本に来て最大の勢力を誇った一団が「出雲族」だったと思ってます。
何故故郷を捨てて、危険な海を渡って大量の移民がやってきたのか?
BC1000~2000年頃の中国について調べました。

この頃の中国はまだ国と呼ばれるものは無く、中国長江流域で起こった複数の古代文明の総称として、長江文明(ちょうこうぶんめい)(紀元前=BC14,000年~BC1,000年頃)と呼ばれます。
中国神話の元ネタになっている文明が長江文明だそうです。苗族が神とする伏義・女媧・蚩尤信仰が認められます。
メソポタミア文明(BC9000~)やエジプト文明(BC8000~)で農耕が始まったのと同時期かさらに古く、黄河文明よりも千年以上も早い。私が見た分だけ挙げてもこんだけありました↓。

①BC1.4万年~BC1.2万年前、玉蟾岩(ユイチャンイエン)遺跡(湖南省道県);稲モミが見つかっているが、栽培したものかは確定できない。
②BC1.2万年頃?、仙人洞・呂桶環(ちょうとかん)遺跡;栽培した稲の発見。中国の農耕が、中国独自でかつ最も古いものの一つだと確かめられた。
③BC0.7万年~BC0.5万年―彭頭山(ほうとうざん)文化;中国の栽培種の稲、最古級の環濠集落の発見。
④BC6000年~5000年、河姆渡(かぼと)文化;150トンもの水稲のモミが発見。稲はジャポニカ米で原産地は長江中流域。(①or③?)
⑤BC5000年~BC3000年頃―大渓(たいけい)文化;灌漑農法が確立。平住地に移動。竹編みの泥壁のある家屋や、環濠集落。
⑥BC5000年~BC3800年―馬家浜(ばかほう)文化;灌漑が行なわれ始め、コメを栽培していた。ブタの飼育を行っていた痕跡。ヒスイ、紅陶、衣服の繊維の発見。
⑦BC4300年~BC4000年―城頭山(じょうとうざん)遺跡;環濠集落を伴う水田稲作遺構、王宮と神殿、中国最古の祭壇が発掘。彭頭山から農地を求めて移動。
⑧BC3900年~BC3200年頃―すう沢(すうたく)文化;墓穴から多数の玉器。黒陶、灰陶。
⑨BC3500年~BC2200年頃―良渚(りょうしょ)文化;馬家浜・すう沢文化を受け継いだ。多様な玉器、絹を出土(最盛期)
⑩BC3000年~BC2600年頃―屈家嶺(くつかりょう)文化;ニワトリ、イヌ、ブタ、ヤギなどの遺留物。ろくろを使用した黒陶が特徴(最盛期)
⑪BC2500年~BC2000年-石家河(せきかが)文化;環濠集落から発展した大規模な城郭都市。形状はほぼ正方形で南北は1・3km、東西は1・1kmほど。屈家嶺文化を継承しており、灰陶などの陶器や陶製の人物像、ヒスイの玉製品は、屈家嶺文化よりも発達した製法。
長江3

BC2200年に起こった気候の寒冷化によって、漢民族のルーツにつながる北方の黄河文明の民(=夏[ka])が南下しました。
司馬遷の「史記」には、漢民族の最古の王朝・夏の堯(ぎょう)・瞬(しゅん)・禹(う)という三代の王が三苗(さんびょう=苗族(ミヤオ族)の先祖、長江文明を造った民族)と戦い、これを攻略したという記述があります。
黄河文明の民は畑作牧畜を生業とし、自然を切り開く「力と闘争の文明」の民だったので、その武力で長江文明の民を雲南省や貴州省の山岳地帯に追いやりました。これが今日の苗(ミヤオ)族などの少数民族です。
三苗は玉器や陶磁器を作る高度な文化は持ってましたが、武器を作る、兵士を統率する文化が無かったため、戦いは不利でした。

おそらく、そのときの戦いが『墨子』五巻に夏と三苗(ミャオ族)に関する伝説として載ってます。
【三苗(サンミャオ)時代に、夜に太陽が現れ、血の雨が三日間降った。龍が寺に現れ、犬は通りで吠えた。夏の水は氷になり、大地は裂け、水が噴き出した。五穀は変異した。天はミャオ族に克服を課した。雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。後、夏王国は建国した。】

長江文明の民が漢民族に圧迫され、上流域の民は雲南省などの山岳地帯に逃れて苗族となり、下流域に住む一族は海を渡って、一部は台湾の原住民となり、別の一派は日本に漂着して、稲作農耕の弥生時代をもたらしたといわれています。
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コメント

以前、日本人の遺伝子を特集したテレビを見て「Dの遺伝子」に感動しました。
やはりDの一族ってあるんだね〜(^_^)

Re: きゃーyukicoさんお久しぶり♪

> 以前、日本人の遺伝子を特集したテレビを見て「Dの遺伝子」に感動しました。
> やはりDの一族ってあるんだね〜(^_^)

ありますよ~\(○^ω^○)/
アルファベットの文字は発見した順に付けただけなんですが、
バーシャルが日本人を見て「ドラゴニアン」とか言ったりするから、
「D」は「Dragon」の「D」なんじゃないかな~って妄想してウフウフしてます。

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