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寝言は「はい、今から出社します」(27)月読神社

こないだ、風呂に入ってたら「イシュタール」が浮かびました。
コンビにで立ち読みした「アルスーラン戦記」かな?と思いgoogleたけど、あれ?ないよ?
更にgoogleと「メソポタミア神話の月の女神、イシュタル、イナンナ」ですって。うへへ。わかってまんがな。
お風呂は繋がり易いって自称ライトワーカーの人が言ってたような気がする。
right-workerはしんどそうですが、light-workerならいいかも。楽な仕事でガッポリ儲けたいです

月読神を祀る神社については、その性格上基本的に3系統にわかれるようです。
天照大神の兄弟神として祀られる立場で、伊勢神宮内宮の月読神社がその代表です。
山形県・出羽国飽海郡・月山神社は、月の神を祀るところから出発し、後に、祭神が月の神様なら月読神であろうということになったと思われる神社です。
壹岐国壹岐郡・月読神社は、「月を読む神」つまり、海洋民としての、月と潮汐の関係から来たものともいえます。
古来月を読むこと、すなわち月の満ち欠けが生活に及ぼす影響は大きいので、月読神は暦数、天文、占い、航海の神として信仰を集めてきました。
世界的には、太陰暦がメソポタミア文明で太陽暦に先行して発生しました。

日本神話において、ツクヨミはアマテラス・スサノオと並ぶ重要な神とされているのに、記紀神話にはあまり登場しません。

支配領域については、「天照大神と並んで天を治めよと」指示された話が2つある一方で、
「滄海原の潮の八百重を治すべし」(これは月が潮汐を支配するという発想)であったり、
「夜の食国(オスクニ)」と命じられたという話もあります。
支配領域の不安定ぶりも、ツクヨミの神格は複数の観念が統合された、不安定で多様なことを示唆します。

月読神に関する神話は少なく、日本書紀にただ一つあるだけです。

天照大御神が月読尊に葦原中国(あしはらのなかつくに)の保食神(うけもちのかみ)を調べてこいと命じた。
保食神は口から吐き出した物を提供した。月読神は「この私に食わそうというのか」と怒り、保食神を斬り捨てて天界に戻る。
それから、天照大御神は、二度と月読尊と会おうとはしなくなり、昼と夜に別れて暮らすようになった。
天照大御神は天熊人(あまのくまひと)を遣わして、保食神を見に行かせた。
保食神は死んでいたがその頭からは牛馬が、額の上には粟が、眉には蚕、目には稗、腹の中には稲が、さらに陰部に麦と大豆と小豆が生まれていた。天熊人は、それをすべて持ち帰って天照大御神に献上した。

古事記での食物起源神話はスサノオによるオオゲツヒメ殺しとして出ています。

殺された神の死体から作物が生まれたとする説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布し、
「ハイヌウェレ型神話」とされるそうです。芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られることが背景にあるそうです。

「山城国風土記」の「桂里」で、「月読尊」が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中国に下り、保食神のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えてます。

「桂の里 月読尊が天照大神の勅をうけて豊葦原中国に降り、保食神(ウケモチ)のもとにおいでになった。
その時一本の湯津桂(ユツカツラ)の樹があった。そこで月読尊はその樹に依ってお立ちなされた。
その樹のあった処を、今も桂の里という」

この伝承は、月読神の保食神殺し(食物起源神話)が桂里で行われた事を示唆しますが、
月読神は元々保食神のように食物を提供する性質を持っていたが、桂里で切り離したとも取れます。
そこに桂の樹が登場するのは、中国の神話で、月には桂の巨樹があり、その桂樹は何度伐り倒されも直ちに再生するという話(中国・呉剛伐桂神話)を承けたもので、それは月読神の性質に連なるといえます。

また月の満ち欠けは、死と再生の象徴であるといいます。

民俗学にいう月は、その満ち欠けという現象から“死と復活”と結びつき、月神は“死んでも蘇る”則ち“不死”を掌ると信じられてきました。沖縄・宮古島に、
「お月さま(月神)は人間に不死を授けようとして、使いの者に“変若水”(オチミズ・若返りの水)と“死に水”が入った二つの桶を担がせて地上に遣わした。
使いの者が道ばたで休んでいると、蛇が現れて変若水を浴びてしまった。
使いの者は、やむを得ず人間に死の水を浴びせて帰った為に、蛇は脱皮して何時までも若くいられるのに、人間は死ななければならなくなった」との伝承があります。
蛇が永遠不滅ってのも神とみなされるからですかね。エデンの園で悪知恵を授けた人も蛇だし。
キリスト教圏では邪教扱いですが、世界中で蛇は知恵の有る神様ってとこでしょうか。

似たような話が中国にもありました。
中国の神話。10個の太陽のうち9個を射落としたことで知られる羿(げい)という弓の名手が、世界の西の果てにある崑崙山まで旅をし、そこに住む西王母から人間のために不老不死の薬をもらい受けた。
ところが、羿(げい)の妻の嫦娥(こうが or じょうが。常娥とも書く)はその薬を盗み、独り占めしようと月に逃げ込んだ。
そのため、人間は死ななければならなくなった。
この悪事の報いのためか、美女であった嫦娥は醜いヒキガエルの姿に変わった。月面のヒキガエルのような陰影はじつは嫦娥の姿である。
満ち欠けを繰り返す月は不死の象徴であり、冬眠を繰り返して生きるヒキガエルも不死の象徴とされる。
このヒキガエルが後にウサギに変わり、月で不死の薬をついているのだという。

嫦娥に逃げられた羿は思い悩んで病気になってしまった。
そこへ嫦娥の使いだという童子が現れ、「明日の夜は満月です。米の粉で満月のように丸い団子を作り、部屋の西北に供え、三度ご夫人の名前を呼んでください」といった。
羿がそのとおりにすると嫦娥が天から降りてきて、再び羿と夫婦になったという伝説もある。
中国語のヒキガエルとウサギはほぼ同じ音で発音されるため、中国ではウサギが月にいるとも考えられてた

「ヒキガエル」の話が日本にもあります。

「古事記」でヒキガエルの神、多邇具久(たにぐく)が出てくる話です。
大国主が出雲の御大岬(美保岬)にいたとき、海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。
このとき、かかしの久延毘古なら知っているはずと注進したのが、ヒキガエルの多邇具久であった。
久延毘古によって、その小さな神の名は「神産巣日神の子の少彦名神」であると知らされる。

ヒキガエルが月の象徴だと思って書いたとすれば、月読神が大国主に進言したってことですね。
記紀神話に月読神は出番が少ないけど、こっそり活躍してました。

飛鳥美人像で知られる高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室には、東壁に金箔の太陽、西壁に銀箔で月を表現していました。
色鮮やかな朱雀などが描かれたキトラ古墳(明日香村)でも、東側に太陽と三本足を持つヤタガラス、西側には剥落が著しかったですが、月とヒキガエルが描かれたとみられました。
太陽と月は不可分なもの、ほぼ対等なものとして、飛鳥時代の人たちは見ていたのです。
古墳の石室は二度と人目にふれないものとして築かれます。

↑新聞記事の抜き出しですが。やっぱり「ヒキガエル=月」みたいですね。
しかも、「太陽と月は不可分で対等」らしいですよ?

こうゆう、連想ゲームみたいにして遊ぶのって知識量がモノをいうので、素で太刀打ちは・・・ですが、
google先生がいればなんとか出来るかもです。
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