記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

寝言は「はい、今から出社します」(24)松尾大社

大宮売命について書いた記事が24本です。寝言シリーズとか言うの止めちゃってもいいかも?
これだけ調べ続けるって、菊理媛でもついてますかね?

松尾大社の続きです。
wikiより。
『松尾大社の大山咋神(おおやまぐいのかみ)は、
「大山咋神。亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑(なりかぶら)を用つ神ぞ。— 『古事記』大国主命段」
比叡山の日吉大社(滋賀県大津市)の祭神と同じくする神である。 』 

鏑矢というのは先が二股に分かれたやじりのついた矢のことで、地名でもこれがつくところは二股の大木がはえていたり、鉄製やじりの産地だったりすることが多いそうです。
失礼かもしれませんが、暗に伏見稲荷大社をdisってるのでしょうか?(参照)
山城国付近の秦氏グループ神社の中で松尾大社は一番神階が高いらしいのでアリでしょう。
渡来した秦氏は大和国の葛城に定住し、5世紀後半から末頃になると山城国に本拠を置いたとされます。
2大開発拠点が紀伊郡深草=伏見稲荷大社(京都市伏見区)、と葛野郡嵯峨野(松尾大社)になります。

『上記の「鳴鏑」に関連する伝承として、『本朝月令』所引の『秦氏本系帳』では、

【初め秦氏の女子、葛野河に出で、衣裳を澣濯す。時に一矢あり。上より流下す。
女子これを取りて還り来、戸上に刺し置く。ここに女子、夫なくして妊む。既にして男児を生む。
(中略)戸上の矢は松尾大明神これなり。(中略)而して鴨氏人は秦氏の聟(むこ)なり。
— 『本朝月令』「4月中酉賀茂祭事」所引『秦氏本系帳』】
(初、秦氏女子、出葛野河、澣濯衣裳。 時有一矢、自上流下。
女子取之還来、刺置於戸上、於是女子無夫懐妊、既而生男子也・・・戸上矢者、松尾大明神 是也。)

このような神婚譚は、『山城国風土記』に記される、賀茂建角身命の子の玉依日売が川上から流れてきた丹塗矢(火雷神)により妊娠して賀茂別雷命を産んだという、賀茂氏の伝承との関連が指摘される(by本居宣長)。
「鴨氏人は秦氏の聟(婿)」として秦氏と賀茂氏の関連が見える。
秦氏の入植以前から賀茂氏は京都盆地にあり、秦氏と賀茂氏とが姻戚関係を結び共同祭祀を行なったので、『秦氏本系帳』の神婚譚は、賀茂氏の伝承が秦氏に取り入れられたとされる。
賀茂氏と秦氏との関連性については、松尾祭・賀茂祭で「葵祭」と称して似た祭祀を行うこと、御阿礼神事を行うこと、斎王・斎子といった巫女による祭祀を行うこと等も併せて指摘される。』

「松尾山は別雷山(わけいかづちのやま)」と前回ありました。(賀茂別雷命は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神です)
松尾大社は葛野を少し離れ、わざわざ桂川沿いに建てられているところにも遠慮があります。
渡来した時、秦氏族はまだ「余所者」なので、大山咋神という鴨氏の神を取り込んで、近畿での永住権を得たのでしょう。
このように在地神を尊重・継承するのは、秦氏の祭祀姿勢の特徴で、見事なほどあっさり受け入れます。

松尾大社が酒の神とされるのは、中世以降からになります。
一説に秦氏が酒造技術に優れたことに由来すると言われます。
また、秦河勝一族が京都葛野を開発した氏族で開墾の神とされ、「開闢(かいびゃく=荒れ地などが切り開かれること。)神」なので、「大裂け」→「大避け」→「大酒」となり、語呂合わせで酒の神になったとも言います。

秦河勝一族は、景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰するユダヤ人一族だという説もあるそうです。
6世紀以前に唐に東方キリスト教の「景教」が伝わっており、その寺院は大秦寺、ローマは大秦と呼ばれるそうです。
それなら、心に神の愛があれば神社なんかどーでもいいし、合理的精神である事も肯けます。
でも、キリスト教徒の中国人ぐらいじゃないのかな~?
骨が見つかって鑑定でもしないとなんともいえませんね。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。