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寝言は「はい、今から出社します」(22)櫟谷宗像神社

いきなりですが。アフリカのピグミー族ってご存知かしら?
遺伝子的にはY遺伝子ハプログループBであり、非常に古い遺伝形質を持ち、背が低い(平均1.5メートル未満)です。
このピグミー族は「大きな人間に捕まると食べられてしまう」という非常に深刻な悩みを持ってます。
アフリカでは呪術が本気で崇拝され、ピグミー族の肉を食べると不思議な力が宿ると信じられてるそうです。
ウガヤ朝の皆様もヨガの達人みたいだし、原種に近い人間って何か不思議な物を持ってるんですかね??

さて、おそらく大宮売命の別名「湍津姫神(たぎつひめ)」についてローラー作戦を展開しました。

『湍津姫神は宗像三女神の一柱である。宗像大社では中津宮に祀られている。
「古事記」に基づくと、 アマテラスとスサノオの誓約の段で、アマテラスがスサノオの持つ剣を譲り受けて宗像三女神を生み、スサノオの物実から生まれたのでスサノオの子であると宣言された。
神名の「タギツ」は「滾(たぎ)つ」(水が激しく流れる)の意で、天の安河の早瀬のことと解釈される。』

さすが、湍津姫は記紀が編成されてから作られてるので、神社の由緒をみても、話に辻褄のあわない綻びが少ないです。
七夕伝説に脱線したり、本地垂迹説に従い仏にまで手を出し、
(ネットの中で)日本中巡ったが、ピンと来ない。むーーーん(-"-;)
そんな中、変な伝説に出くわしました。

櫟谷宗像(いちいたにむなかた)神社;京都市西京区嵐山中尾下町61
ご祭神 奥津島姫命・市杵島姫命

この神社は嵐山・桂川の西岸、渡月橋のすぐ傍に鎮座している。
「奥津島姫命」「市杵島姫命」は元々この二つは独立した社殿を持っていたようだが、今は一つの社殿に収まっている。
櫟谷神とは奥津島姫命の事で、宗像神が市杵島姫命であるが、奥津島姫命と市杵島姫命はともに宗像の神である。
櫟谷神社は『延喜式』神名帳に『松尾末社』と注を付されて載る由緒ある式内社です。

櫟谷・宗像の両神社と、渡月橋を挟んだ対岸の大井神社を合わせて宗像三女神がすべて揃うと言われ、両橋詰め附近に鎮座する橋の守り神となっていた。

奥津島比売命[おきつしまひめのみこと]=多紀理毘売命:たぎりひめのみこと=田霧姫命:たきりびめのみこと=田心姫命:たこりびめのみこと。
なので、ここには市杵島姫と田霧姫がいらっしゃるので、対岸に湍津姫が御座すはずですね。
対岸は大井神社だそうです。

大井神社;京都市右京区嵯峨渡月橋北東スグ
祭神;大綾津日神(おおあやつひのかみ) ・大直日神(おほなほひのかみ)・神直日神(かみなほひのかみ)。
現在は宇賀霊神(倉稲魂神、うがみたまがみ)。
かつて、堰神社、大堰神社、大橋神社とも呼ばれた。』

堰(せき)は、水をせき止める目的で河川や湖沼などに設けられる構造物。
堰は堤高15メートル未満とされ、それ以上はダムです。
行った事あれば「あれか」ですが、「葛野大堰・かどのおおい」と呼ぶそうです。

『社前の説明書によれば、「大堰川の守り神、また商売繁昌の神として古来住民の信仰が厚い。
また秦氏や角倉了以の信仰も厚いものがあった。
創立年月日は未詳だが、延喜式神名帳(927)や三代実録・貞観18年条(876)に記録(山代大堰神、従五位下)がある。
おそらくは、秦氏の葛野大堰造営(8世紀初頭)と密接な関係があろう。
山城大堰神とも呼ばれた。社殿は野宮神社からの移築とある。」

かつて松尾大社末社だったが、現在は野々宮社によって管理されている。
しかし、松尾大社(松尾大社編・2007)には「大堰川にかかる渡月橋の北詰には、古くは松尾大社とゆかりのあったとされる大堰神社(大井神社)が祀られている」とはあるものの、それが末社であったとは記していない。』

祭神が、祓いの神「大綾津日神・大直日神・神直日神」だったのが、現在は「宇賀霊神」って?
最初から寝言シリーズを読んでいただければ、「そうゆう組み合わせもありかな?」ですが、最初は「???」ですよね。
私は「???」派でした。

「かつては松尾大社末社でした。」という記述を見た直後に、「それが末社だったとは記していない」とか言われたら、混乱しますよね?
私の希望的観測として宇賀霊神=湍津姫ですが、ようわからんので、松尾大社に出掛けました(ネットの世界で)。
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