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寝言は「はい、今から出社します」⑰六甲比命神社

前回の記事⑯で巨石信仰のこと、墓とか神社っていうのしっくり来なかったんですよ。
で、閃いたのが「ドルメン」。
みつろうさんのブログに「笑スピ・ドルメン部」のまとめがありました。興味があれば読んでね

前回の続き、六甲比命神社(ろっこうひめじんじゃ;wikiより)のご紹介から。

『六甲比命大善神社; 兵庫県神戸市灘区六甲山町
[主祭神]六甲比命大善神(弁財天), 神体 磐座

祭神名は六甲の山名の変遷とともに変わってきたようである。
六甲山全山は、かつて西宮市廣田神社の社領であり、廣田神社/祭神、向津姫(またの名/瀬織津姫)と六甲山の旧名の向かつ峰の名称が一致する。

[歴史] 六甲山頂尾根付近に位置し、天穂日命の磐座もある。
仰臥岩、雲が岩、心経岩の中間地点に位置する壮大な磐座が御神体で、7世紀にインドから渡来した法道仙人が創建した神戸市北区唐櫃の吉祥院多聞寺 (神戸市北区)の奥の院となっている。』

『法道(ほうどう)は、インドの仙人。
6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、牛頭天王と共に日本へと渡ってきたとされる。
その牛頭天王は姫路市にある広峰神社に祭られ、その後八坂神社中の座に祭られたとされる。
播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す。勅願寺(時の天皇・上皇の発願により創建された祈願寺のこと。寺格の一つ)を含む。
法道仙人が六甲山雲ヶ岩(紫雲賀岩)で修業中、紫雲に乗って出現した毘沙門天を感得する。雲ヶ岩、六甲比命大善神、心経岩を奥ノ院とする吉祥院多聞寺(神戸市北区唐櫃)を創建する。』

役小角はウガヤ朝のドルメンが六甲比命大善神の御神体の磐座だと気づきますが、すでにその時点で、向津峰は法道仙人の主導のもとで、渡来系秦氏によって、占拠されていたものと思われます。

そこで、役行者の縁者、四鬼家を奈良の天川村の洞川より唐櫃(からと=現神戸市北区)に移住させます。
自らも「修験道」を確立して、六甲修験の山伏達を管理をするという名目で、唐櫃村と西六甲山の管理人として入り込みます。
多聞寺とともに、何人も四鬼家の許可なく六甲山へ入山することを禁じました。
多聞寺の奥ノ院が、熊野権現、八大龍王を祀る仰臥(ぎょうが)岩、雲ヶ岩、向津姫神社=六甲比女神社、そして心経岩の一帯であるので、四鬼家が堅守しました。

渡来系勢力によって神道・神社が改変され、伊勢祭神をはじめ日本の本来の祖先神たちが消される中、
役行者は仏教の本地垂迹説を逆手にとって、日本の神を仏教の本尊に変え、天照大神を八大龍王(先代の上方様?)、大宮売命を弁財天、不動明王として祀り変えたものと思われます。

(八大龍王について調べましたが、其の中の一人は大宮売命の父上様がいると思いましたが、8人全部調べるのはコレ終わってからでいいんじゃねえの?と思い途中で挫折しました。龍神様は卵好き、梨が好きとか龍に化けられる人間でしょう。
天照大神は役職名[ex.営業部長、大蔵大臣]だろうから、時代によって異なります)

同じような事は聖徳太子もやってました。此の人も饒速日系の人で日本の仏教化は避けられないから、
「神仏儒習合」思想を作り、他の宗教を否定する事無く、融合させる思想を考え出しました。

空海も元は秦氏の寺であった鷲林寺を真言宗に改宗し、さらに、
甲山山麓(おそらく廣田神社の一番元のままの場所の付近)に神呪寺を創建します。
天照大神を大日如来とし、大宮売命を大日如来と不離一体の不動明王や弁財天にしました。

空海様も聖徳太子、役小角の跡を継ぐお仕事をされました。
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