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寝言は「はい、今から出社します」⑯廣田神社(摂津)

ヨド姫様。大阪・淀川の畔に住んでるので、お世話になっております。
九州地方もすごい神社イッパイなんですが、私の手もイッパイでまだ未着手です。

Y遺伝子のハプロタイプを調べて人類の起源をさぐる研究をされる先生によると(教えてgoo降臨で名前は不明)
日本は3.8万年前に縄文人(DE系統D2)が日本列島に到着し、暫く(1万~2.6万年間)縄文人(D2)だけで暮らしてましたが、
0.3~0.4万(3000~4000)年前、弥生人(NO系統O2B1&O3)日本渡来します。
遺伝子的には此のときの流入がメインで、有史以降(起源元年辺り?)の渡来は少数だとされてます。
3-4000年前の流入経路は南方から沖縄を伝って九州に入ります。朝鮮半島には遺伝子の跡が無いそうです。
薩摩・隼人・熊襲(くまそ)辺りになったかな?
熊襲の皆様も、朝廷には苛められたけど歴史有る一族なのね。

[6万年前]CF系統CF が東アフリカから出てインドに留まる→[4.5万年前]CF系統からF分岐→CF系統F亜型→NO系統O分岐(東アジアで一般的な人)→[0.8万万年前]O2B誕生→O2BからO2B1=弥生人分岐→[0.3-0.4万年前]O2B1&O3日本渡来
ハプロタイプ
20万年前からの歴史年表を作ると「ウエツフミ」の記述もあながち嘘でもないかなぁと思えてきます。
数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地としますが、20万年前、東アフリカでホモサピエンス誕生。
BC6000飛騨で上方様開始→BC6000メソポタミアで農業開始。
これはまるの日圭さんが書かれた「アトランティス文明」が実在したと仮定した場合の話ですがね。
↑此の話めっちゃおもろかった。書籍化してもおかしくないのに。
日本がアトランティスって訳でなくても、ウガヤ朝の王族はアトランティスの言い伝えを知ってるんじゃないかと思いました。
妄想が広がると、楽しいです。

佐久奈度神社のブロガーの人がさあ「こんなに由緒ある神社なのに廃れています」とかぼやいてるの。
そりゃーなー。大和朝廷にとって「都合が悪くて、絶大な権力を持つ諸外国の王」をまとめて封印してるんだから、廃社することはできないけど、流行はせんわなー。もったいないとは思います。
「お金が全ての世の中になんだから、神社の由緒なんかどうでもいいじゃん。好きに調べさせてよ」と思う。

正直、大宮売命、下照姫ぐらいしか真剣に調べてないから(これだけでお腹イッパイ)
瀬織津姫に習合されてる女神が向津姫、大宮売命、ヨド姫以外にもまだイッパイいるかもですが、調べてません。
もっと居る可能性はあると思います。
瀬織津姫、私の勘では架空の人物で、大和朝廷にとって不都合な女神の話を集合体?

しかもね。詳しく調べてる人によると、大和朝廷側である向津姫も足跡が辿れないようにする手の入り様みたいなの。
向津姫について詳しく判ると嘘がばれちゃうってことかなあ。
嘘ついてても、まーいいじゃん。気にすんなよ。これからはオープンに行っても問題nothingといいたい。
気にしてるのは古代史ファン(素人)だけだと思う。

【”大宮売命”の話を名前だけ”向津姫”に変える】操作の代表例に入ります。

伊勢神宮内宮に祀られる天照大神・荒魂は神功皇后の三韓征伐の折、船の先導をして勝利に導き、摂津の「廣田神社」に祀られます。
摂津、西宮の地名由来の大社である「廣田神社」は、天照大神荒魂を主祭神とするが、古い由緒には「瀬織津比咩」が主祭神であるとされてます。

『廣田神社(ひろたじんじゃ) 兵庫県西宮市
主祭神;天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)。伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体
脇殿神;住吉大神、八幡大神、武御名方大神、高皇産霊神
阪神タイガースが必勝祈願をする神社です。』

廣田神社が鎮座する摂津の廣田郷に在る「廣田連」は、百済の族とされ、神功皇后の三韓征伐に拘わるとされます。
伊勢外宮の社家や筑紫・上警固邑の元宮、警固神社を祀るのも「廣田氏」です。
廣田氏は往古より上警固邑に住み、瀬織津比咩と習合した天照大神の荒魂、八十禍津日神、神直日神、大直日神を祀ります。
瀬織津姫は瀬田川(淀川の滋賀県内での名称)、宇治川の桜谷の瀧神でもあるので、畿内と筑紫において「廣田氏」が幅を利かせてます。(廣田氏=廣田神社、伊勢外宮、警固神社)

wiki 瀬織津姫より。
廣田神社はかつて六甲山全山を領地としていたが、六甲山は元は向津(むかつ)峰と呼ばれ、それが武庫(むこ)となり、江戸時代ごろより六甲(むこ)と表記され、明治以降「ろっこう」と音読みされるようになった。
吉田東伍も祭神名の考察として「向津は武庫津というに同じ」と指摘し、祭神向津姫の名前が六甲山の山名由来とも考えられる。
その裏付けともいえるのが、山頂付近に鎮座し、山名の変遷と共に祭神名を変更してきたと思われる六甲比命神社(ろっこうひめじんじゃ)の壮大な磐座である
その他では宇治の橋姫神社(祭神;瀬織津媛or橋姫)では橋姫と習合(同一視)されている。
祇園祭鈴鹿山の御神体は鈴鹿権現として、能面をつけ、金の烏帽子をかぶり長刀と中啓を持つ瀬織津姫を祀る。伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治した鈴鹿権現の説話に基づく。 』 

おそらくですが『六甲山頂付近に鎮座する、六甲比命神社(ろっこうひめじんじゃ)』には壮大な磐座(巨大な岩で縄文信仰の対象)があるから、元々は大宮売命(ウガヤ朝)の領地で祭祀場だったと推測します。
「ウエツフミ」「竹内文書」では「BC2500頃、気候変動で寒くなり乗鞍岳周辺から位山周辺に移動」「BC1600頃、飛騨から西日本に移動」と記されてるそうです。
関西は平地に弥生人、山中に縄文人が住み分け、比較的仲良しだったとされる遺跡が残されてます。
ウガヤ朝祭祀は太陽信仰なので高いとこ、ピラミッドみたな形の山が好まれます。
関西近郊で、できるだけ高い山を探すと「六甲山」かな?と思いました。

廣田神社社領・甲山とその付近において役小角が修業をし、甲山の南に位置する目神山中の弁財天影向岩(べんざいてんようごういわ)で弁財天を感得して、大切な神として信仰したそうです。
「役小角が感得した」っつーか「ここワシのご先祖様の墓じゃん!」と気づいたのではないでしょうか。
チャネリングしたのは、ご先祖様「大宮売命」若しくはもっと前の上方様と思いますが、飛鳥時代~奈良時代だったので、世に出せない。
すごいご利益ありそうだし、日本を守りたいとか言ってます。そこで「弁天様です」と言ったんじゃないかな?
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