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寝言は「はい。今から出社します」⑤住吉神社

自分でやりたいと思って始めたけど、たまにくじけそうです。だって、(大昔は)女の子なんだもん。
でも、ポチとかカウンターとか読んでくれる人がいるんだなーって思うと何故か頑張れます。不思議。
現物を確認しなくても、小さなサインで愛って感じられるのね。(こんな私でも)
読んでくださる皆様に厚く御礼申し上げます。

【宗像の子が住吉、その子が八幡】

これ、住吉って誰なんでしょうね?「宗像、住吉、八幡」が全て神社の名前だから、とりあえず「住吉神社の主祭神」じゃないかな?

「住吉大社; 大阪府大阪市住吉区住吉

・下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。
・祭神; 底筒男命、中筒男命、表筒男命(<=住吉三神)、神功皇后(息長足姫命)
住吉の神は海の神です。住吉三神はイザナギノミコトの禊祓に際して海の中から現れました。西暦211年、この地に鎮斎になったと伝えられています。
大和政権の玄関口にあたる難波(なにわ)に鎮座して、遣唐使をはじめ大陸との渡航を守り、奈良時代以前より外交・貿易、またあらゆる産業を守護する神として称えられてきました。」

いけてる。大阪の神社は古いのが多くてステキ(地元愛)。

この住吉津(古代の港)と大和・飛鳥を結ぶ幹線道路は、歯のようにジグザクに入り組んだ磯に沿った路だったので、磯歯津路(しはつみち)と呼ばれました。 磯歯津路は雄略天皇の時代(5世紀後半頃)にあったとされる古代の道です。

『日本書紀』によれば、 雄略天皇の時代に身狭村主青(むさのすぐりあお)という人物が呉国(中国の江南地方)の使いと共に機織の技術者を連れて、住吉津から奈良へと向かいます。その時に作られたのが磯歯津路なので「呉の国から渡来した織姫たちが通った国際街道(シルクロード)」といえます。(アカルヒメ族も通ったかもよ?)

多分だけど。住吉津が出来る前にあった住吉神社は大阪府交野市にあったのではないかと思います。

物部氏系の古史書「先代旧事本紀」では「饒速日が天磐船に乗り、十種の宝物を携えて河内国の川上の哮ガ峰(タケル-orイカル-ガミネ)に天降った。その後、大和の鳥見(生駒山の東地方)に移り、長髄彦(ながすねひこ)の娘を后として御子・可美真手命(うましまでのみこと=物部氏の祖先)を生す。云々」(大意)

とあり、その降臨の地・河内国・川上の哮ガ峰が磐船神社の辺りとされる。

「磐船(イワフネ)神社;大阪府交野市私市9丁目19-1
主祭神;饒速日命

磐船神社には、カミを祀る本殿はない。境内のあちこちに座っている巨岩のひとつを『ご神体』として崇め、その前には拝殿のみ設けられている。このような巨岩を『磐座』(イワクラ)と呼び、この神社の原姿が磐座信仰だったことを示唆し、当社がそれだけ古いことを示す。ご神体とされる巨岩・磐座は「船の舳先」に見える。」

交野市に住吉三神を祀る神社は磐船神社(私市)の他、四条畷住吉神社(四条畷市上田原)、星田神社(星田)、天田神社(私市)、若宮神社(私市)寺住吉神社(交野市寺←地名)私部住吉神社(交野市私部)郡津神社(郡津)等あります。

古代の天野川沿岸一帯を支配していた交野物部氏は天野川上流(磐船神社・私市)から天野川に沿って、その勢力を拡大した。下流には枚方意賀美神社があり、開化天皇(9代)から物部の姓を賜った鳥見の一族・大臣、伊加色男命(いかがしこおのみこと)のお宮として現存し、これが交野物部発展の最前線でした。伊加色男命の子・多弁宿彌命(たべすくねのみこ)がこの地方に居住して、交野連の祖となっています。

『交野市史』で「古代この地では物部氏が勢力を伸ばし、村々では物部氏の祖神饒速日命を祀っていた。太古より崇敬されていた磐船神社の巨巌が、饒速日命降臨の船形に似ているところから、これをご神体とする村々の総社と崇めた。

物部氏が蘇我氏に滅ぼされたのちは饒速日命を祀ることがはばかるようになり、これを表向きに隠すため物部氏の流れである津守氏の奉祭する住吉4神を祀った。天野川沿岸の村々もこれにならって住吉4神を祀ることになった。」

此処までハッキリ言うのも珍しいですね。流石、神武天皇東征に最後まで逆らった長髄彦のお膝元です。

都が奈良から京都に移されてから、京都の宮廷人が交野地方へ遊猟に訪れました。詩歌などの文芸趣味を持つ宮廷人たちは、甘野川を「天野川」、機物の宮を「棚織女をまつる宮」、天野川にかかる橋を「かささぎ橋」など、文学的な命名をしました。船形巨石が渡海を意味した磐船の祭神、饒速日命も、転じて海神となり、和歌の神なる住吉神(海神)に変えられたといいます。

こっちはソフトバージョン。でも住吉三神て元は饒速日だったんだよって主張してます。

金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)も海の神だけど、金毘羅大権現だったのが明治元年(1868年)の神仏分離令で、主祭神が「大物主神(=饒速日)」に戻ってます。あらあら。

住吉神はサルタヒコ、ウガヤフキアエズ、ニギハヤヒ、武内宿彌で迷ってましたが、最近になって、やっぱ饒速日命でしょ!てことで私の中で決まりました。こうゆうのって神社の所在地によっても変わりそうだし、「A=B」を言うのは簡単だけど「A≠B」を証明するのは10倍大変なので無理。

なんで3神にしたかって言うのは、当時日本の流行だったの説があります。「老子道徳経」に「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」で3が縁起が良さそうだからってーのは安直でしょうか。

岩波書店の古事記の注に『「筒」とは「星」で底中上の三筒男は、オリオン座の中央にあるカラスキ星(オリオンの三ツ星の和名)で航海の目標としたところから、航海をつかさどる神とも考えられる。』こっちのがええね。

参考サイト:私部住吉神社HP大阪再発見・住吉神社交野の神社-2、wikipedia、住吉大社HP磯歯津路。もっとあったかも(汗)有難うございました。
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