記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

寝言は「はい。今から出社します」④飛騨王国

<飛騨王国の話>
前回の続きです。

「飛騨王国」ってご存知ですか?亦の名を「ウガヤフキアエズ朝」。超怪しいよね。
でもね。今まで日本神話ってキラキラ☆フワフワでつまんねーなーと思ってたけど、飛騨王国が絡むと政治的ドロドロした大人の事情が出てきて、俄然面白くなります。嘘と誤魔化しの多い日本神話にも意味があったんだなーって私が納得したので、飛騨王国(ウガヤ朝)を在るものとして話をしたいので、ここで脱線して飛騨王国の話になります。(本題が遠のいてごめん)

今から20,000年ほど前はウルム氷河期で日本は大陸は地続きで、石器時代から日本には人が住んでいました。バイカル湖周辺から流入した石器時代人の数は約7,000人ほどであったと推定されます。12,500年前になると、温暖化が始まり氷河時代が終わり、日本は島国になります。

日本人の起源を遺伝子(母系を辿るミトコンドリア解析、父系を辿るY染色体)から探ると、日本人に特徴的な遺伝子グループがあります。「旧モンゴロイド」といわれる、一般に彫りが深く、比較的小柄で、二重のまぶたや、厚い唇、湿った耳垢、多毛などの特徴を持つとされます。琉球諸島・アイヌに比率が高く本州で比率が少なくなるという分布になってます。同じ遺伝子を持つ人種はチベット、アンダマン諸島みたいな周囲から孤立できる場所にしか居ません。割と平和的なので後から来た「新モンゴロイド(大陸系)」の皆様にヤラレタのではないかとされます。

遺伝子地図
↑Y染色体ハプログループの分布図。青=Cグループ、緑=Dグループ、紫=N、赤~黄=O1, O2a, O2b, O3 Group

この縄文人の生活文化を今の世に伝えているのがアイヌ民族では無いかと推測します。(ヤングジャンプで連載中「ゴールデンカムイ」が読みやすいですよ)弥生人の持ち込んだ農耕文化の恩恵に与ると食料は安定するが、定住して土地を持つと身分格差が発生する。飯は食えないけど自由と平等を愛する狩猟生活をしたい人たちが土地を追われて北上して北海道のみに住むようになったのではないかと思います。

日本語にアイヌ語が語源の言葉があるそうです(ex. カムイ=神)。祖先の霊を祀るとか万物には神が宿るとか子供の頃から馴染みのある話が多いです。その中で人を殺すとウェン・カムイ(悪い神)になってカムイ・モシリ(神の国)に帰れなくなり、ティネポクナ・シモリ(湿った地下の地獄?)に送られて、アイヌ・モシリ(人間の国)戻って来れないんだそうです。縄文人には人殺し禁止令が引かれてたんでしょうね。


↑明治ぐらいのアイヌ人の写真。顔が濃い。日本が僻地ほどハッキリした顔立ちの人が多い理由だと思う。

アイヌ人は異なる民族・人種との婚姻を認めています。B.C.2~300年頃から縄文人・弥生人との抗争が始まり縄文人は多数殺されてます。そして血の繋がりを重視するので、婚姻による平和的日本の統一を目指したのではないでしょうか。

本州に住む人は縄文人と弥生人の混血が殆どです。でも、近畿、北九州なんか大量に大陸からの移民が入った土地って柄の悪い所多くない?ラテン系でノリいいけど。

そんな縄文人の飛騨王国がいつから存在したのかは不明です。気候変動が起こってから乗鞍岳周辺から位山周辺に移動したと伝えられてます。縄文時代に大きな気候変動があったのはBC2500年頃なので、そのころには存在していたのかもしれません。
古史古伝「竹内文献」によると、72代の王朝は世数にして62世代なので、一世代30年として年数にして約1700年なので、BC1700年頃に王朝が始まったのでは?の説もあります。
[余談; メソポタミアのシュメール人が日本に来る可能性があるならこの辺かな?と思います。BC2000年位にシュメール国がセム族に滅ぼされて世界に散らばったそうですよ?]

考古学的遺跡発掘調査により縄文時代の飛騨地方の先進性が示されてます。

堂之上(どうのそら)遺跡  〒509-3205 岐阜県高山市久々野町久々野2270
堂之上遺跡は飛騨川上流にあり、昭和48年以降7次に亘る発掘調査の結果、縄文前期から中期を中心とした 典型的集落が、約7,500㎡の小舌状台地にほぼ完全な状態で残されていた。堂之上遺跡では、集落がコの字の形をしており、そのむいている方向は位山の方向である。また、集落の中央付近に祭祀遺構が見つかっているが、その方向も位山の方向であり、位山を崇拝していた遺跡であると確認できる。
また、御物石器(全国で142点中飛騨で73点)、御物石冠(全国で540点中飛騨で300点)のように祭祀器具と思われる石器が飛騨地方を中心に分布しており、飛騨の祭祀が全国に広まったと解釈できる。

日本のピラミッドは自然の山を改造して巨石を配置したもので、太陽崇拝の儀式に使われたものと考えられます。山そのものが御神体の日輪神社。水無神社の位山。山頂にサークル状に石が並んだ磐座、尖山。なんかが代表例です。三輪神社もその流れですよね。

岐阜県高山市国府町漆垣内にある縄文時代晩期(BC400頃)の立石遺跡で、稲作が伝わったとされる弥生時代(BC300中頃~AC300中頃)より前(BC300頃)に、既に稲作が行われていたことが確認された
住居跡は大小の小石を円形に並べたもので、直径四メートル、中央に石で囲った正方形の炉があり、土器や磨製石器、曲玉(まがたま)などが残されていた。
 祭祀場跡は赤土層を石で囲った直径二メートルの円形の中間で火を焚いた痕跡が見られ、東側には三日月型に川原石を敷き、左右に「立石」を立てた遺構が発見された。

[余談; 赤土を盛った祭壇で土器・玉類・石製模造品・鉄刀身等、祭器らしき物がでる神社に京都府京丹後市大宮町にある神社、大宮売神社(おおみやめじんじゃ)があります。この人も大物らしいのに出自不明なのよね。]

ウガヤ朝について書かれた文献は、「ウエツフミ」「竹内文献」によるウガヤ朝、「富士宮下文書」によるウガヤ朝、「上代天皇紀」によるウガヤ朝と、大きく三系統あるそうです。怪しさ満天の内容だけど、遺跡も残ってるし、飛騨の口碑は全く根拠のないものではないと思います。(詳しく知りたい人は「縄文王朝飛騨国の誕生」「ウガヤ王朝の正体」をどうぞ)

で、日本神話に登場する神、オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)。日本書紀は『大山祇神』、古事記では『大山津見神』と表記する。神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。
この人も出自不明なんだけど、多分「飛騨王国の王様」を示すと思うの。人に寄ってはスサノオウとか饒速日だとかの説もあるから、全部が全部飛騨王ではなくても、部分的には飛騨王だと思ってます。(そうでないと、この後続かない)

縄文人の骨や生活用品が残ってるんだから縄文王国があった方が筋は通ってますよね?(歴史上消されてますが)
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。